住職の法話を聞く機会が多くなり、
改めて仏教の教えの意味を考える。
母の百か日の法要も済んだ。
百か日のことを、卒哭忌(そっこくき)ともいう。
「卒」は終える、「哭」は泣き叫ぶ、そろそろ泣くことをやめにして、悲しみから抜け出して、亡き人を思い、亡き人とともに、あらたな生活をすると心に誓う日。
自分の心のままに悲しみと向き合ってきたが、
確かに、「さあ、そろそろしっかり生きていかねば、、」
「悲しんでいる姿は母も望むまい」と思うようになった。
それが百日たった頃
理にかなった教えだと思う。
住職の法話もきちんと聞くと心にしみるものがある。
「あなた方がしっかり生きていくことをお母さんはお望みだと思います」と。
母から贈られた私の守護仏「阿弥陀如来」
何年か振りに取り出して握りしめる。
